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「デジタル教育」でシンポ/「文科省副大臣は導入に含み
日時: 2010/09/16 14:52:56
情報元: 新文化

電子教科書や電子黒板を活用した学校授業のあり方について、シンポジウム「デジタル時代の教育を考える」が9月3日、東京・千代田区の日本プレスセンタービルで行われた。文字・活字文化推進機構と読売新聞社が主催した。同シンポジウムの申し込みは受付を開始してから4時間で満席となり、当日は席を追加して380人が参集した。

会では初めに読売新聞東京本社の老川祥一社長が、5年後に小中学生全員にデバイスを提供し、モデル校で実証実験を始める総務省の方針について言及。経費やビジュアル面からの教育効果を認めながらも、先生と生徒のコミュニケーション力や手書き能力の低下、また“ディスプレイ中毒”を例に挙げ、成長期の心と体の問題を指摘し、「子どもたちへのさまざまな影響を考える必要がある」とシンポの目的を述べた。

「祖国とは国語」と題して基調講演した藤原正彦氏(作家・お茶の水女子大名誉教授)は開口一番「パソコンを使うとはいえ、そもそも教育の問題を考えるのになぜ総務省が関わるのか」と切り出した。

江戸時代の識字率は世界でも圧倒的な高さで、「アメリカやイギリスなど世界各国から日本の教育を見習え、と言われてきた」としながら、学力が低下し、世界に遅れをとってきたのは1977年から始まった教育改革がすべて失敗に終わった結果であると述べた。

教育改革は1980年代になっても国際化、自由化、多様化、個人尊重など美辞麗句を並べて実行され、挙句ゆとり教育で授業時間を3割カットした、などとこれまでの国の動きを痛烈に批判。「いまの日本は子どもたちにおもねっている。九九(くく)などは張り倒してでも叩き込むことが必要」と語った。

さらに教育改革が行われても落ちこぼれ、いじめ、不登校がなくなっていない現状を示した。

電子教科書については「これは改革でなく革命である」という。学校と家庭でパソコン画面を見続ける生活によって、子どもたちの「心の混乱」を誘発し、創造性、独創性、イマジネーション、注意力が失われるなど「予想される困難は無数にある」とした。

また、ある官僚から「電子教科書をIT産業の切り札に」という発言があったことには「とうとう本性を顕した」と述べ、政治と官僚と企業の結び付きによる国策だとして批判した。

シンポジウムでは鈴木寛氏(文部科学省副大臣)、新井紀子氏(国立情報学研究所教授)、中川一史氏(放送大学教授)、黒川弘一氏(光村図書出版・企画開発本部長)、村上輝康氏(野村総合研究所)がパネラーとして登壇。丸山伸一氏(読売新聞論説委員)が進行した。

鈴木副大臣は通産省時代に情報教育の責任者として15年にわたって実証実験を重ねてきた経緯を説明。デジタル化した授業については「これから電子ノートも世にでてくると思う。電子教科書や電子黒板は、使う教師側の問題もある。いますぐ紙がデジタルに変わるものではない」と発言。

「小学校の段階で今すぐ紙を失くすことはない」としながらも、高校では「いいかもしれない」と述べて含みをもたせた。

新井教授は「デジタル教科書はあくまで教材。それが考える力が低下している学生に勝ち抜く力を与えるものかは判断できない」。

村上氏は「1人1台のデバイスを与えて、双方向の授業をすべき。効率的に運営する学校の授業も変わらなくてはいけない」。

中川教授は「電子教科書は教育の一手段として使うのがいい」。

黒川本部長は「電子教科書はあらゆる面で良い。国策にしなくてどう普及させていけるのか」とそれぞれ持論を主張。シンポの途中には2009年の補正予算で小学校に設置された電子黒板を活用するICT教育の現場をプロジェクターで上映するなど、段階的に推進していく印象を与えた。

会場にいた書店経営者からも「デジタル教育の導入を前提にしたシンポだった。不安が増した」など、子どもたちや出版界の将来を懸念する声があった。

(本紙2010/9/9号掲載記事から)
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